アルバム感想『DUO』 / 家入レオ


『DUO』 / 家入レオ
2019.4.17
★★★★★★★☆☆☆

01. Prime Numbers ★★★★★★★★☆☆
02. 愛してないなら ★★★★★★★☆☆☆
03. Overflow ★★★★★★★★★☆
04. もし君を許せたら ★★★★★★★☆☆☆
05. Bicolor ★★★★★★★☆☆☆
06. Whenever ★★★★★★☆☆☆☆
07. Neon Nights ★★★★★★★★★☆
08. JIKU ★★★★★★★★☆☆
09. Spark ★★★★★★★☆☆☆
10. Bouquet ★★★★★★★☆☆☆
11. この世界で ★★★★★★★☆☆☆
12. サザンカ ★★★★★★★★★★

 

スポンサーリンク




 

 2020年2月時点で最新作にあたる6thアルバム。

 レオさんの自作曲が前作よりもだいぶ少なくなり、外部に発注した曲が大半を占めてます。どうやら「レオさんにしか歌えない曲」というものを求めて今回はシンガーに徹しているらしいです。そして、レオさんの最初からの意向なのかどうか、ミドル/スロー系の楽曲がやや多め。

 

 結論から言っちゃうと、個人的には微妙なアルバムでした。バリエーション豊富と呼ぶには振れ幅がなんとも中途半端だし、一曲の突き詰め方が物足りないものがあったりするし、曲によってサウンドメイキングやプロダクションが芳しくないものがちらほら散見されたりする(さすがに初期3作よりは全然まともだけど)のがどうにも痛い。そんなことも少なからず関係してか、全体を通してみると どうしてもインスタントというか消耗品としてのJ-POPという印象に収束しちゃうんですよね。シンガーに徹したアルバム作りということであればせめて自身のイズムを活かした上で今とは比にならんくらいの幅広さを有するか、若しくは一極に集中して地底人に遭遇するレベルまで深く掘り下げるか、どちらかにだけでも注力してほしい。

 

 

 でも一曲一曲にスポットを当ててみると、好感触の楽曲はあるっちゃあるんですよ。

 まず、King Gnuのブレーンである常田大希氏が提供した『Overflow』。かねてよりレオさんがKing Gnuを気に入っており 自らラブコールを送ったとのことで、作風は圧倒的にKing Gnu寄り。てか後にKing Gnu名義でセルフカバーしてるし。重みあるダンスビートを敷いたスタイリッシュなトラックの上で、文字数多く詰め込んだ泥臭いフレーズをソツなく歌い上げてます。ミドル/スロー系が多いアルバムというのもあり、曲単位でもアルバム枠の中で見てもパンチが効いてます。

 

 相対性理論の永井聖一氏が手掛けた『Neon Nights』もかなり気に入ってる曲で、こちらはタイトル通りの発色豊かなデジタルアップナンバー。シンセの音色然りシャッフルリズム然り、思っきし80sぽさを意識していながらもトレンド感にも抜かりないサウンドメイキングが施されているからか、「古臭さ」ではなく「懐かしさ」として機能してるのが良いです。

 

 あと、レオさん自身が作詞曲を手掛けた『サザンカ』なんてめちゃくちゃ良い曲じゃないすか!絶望に耽るでも苦悩をぶちまけるでもなけりゃ、傷や疲弊を背負った心を治癒するでもなく、悲しみにただ寄り添うといった感じの佇まいで、響きは悲しげなのに なんだか心が安らぐんですよね。悲しげなマインドには悲しげな曲で対抗せよということなんでしょうかね。擦り傷を負ったら唾をつけて対処するような感じで…ってあまり喩えがよろしくなくてアレですけども。
 小谷美紗子氏によるしっとりしたジャジーなアレンジも貢献度高いし、レオさんの歌唱もざっくりと言えば大人っぽいってことなんですけど、この曲に密封したい想いを機微まで汲み取って歌声でしっかりアウトプットしているし、こういったカタチでの共同制作は大いにアリなんですよ。歌い手として、クリエイターとしてのポテンシャルが発揮されてる上に、レオさんのパーソナルな側面も反映されてますからね。

 

 そして、同じく小谷美紗子氏が作詞曲アレンジを手掛けた『JIKU』がなかなか強烈。冷涼かつ陰気なムードとか、情緒の不安定さを体現したような拍子の変わり様とか、初期のレオさんのイメージを継承しつつ冷ややかで鋭いフレーズを突き刺してくる歌詞とか、全体的な様相は地味でも 形成する一つ一つの要素は何気に物騒です。『Overflow』同様、これもキャラ立ちした曲と言っていいでしょう。

 

 そんなわけで、決して悪いことばかりではないんですけどもねぇ…感じなんですよ。
 つーか個人的には、レオさんにしか歌えない曲を演るんであれば やっぱりレオさん自身で作詞(出来れば作曲も)するのがベストだと思うんですけどね。いずれの楽曲でも発注先の期待にはきちんと応えられているんですけども、そもそも大半の曲で「レオさんでなければ」というマストな要素が欠如してるし、むやみやたらに「陰」な側面ばかりをほじくり出したり、無理やり仮想敵を用意してまで執拗に攻撃性をむき出しにしたりする必要はないけど、本人が綴った血肉の通った言葉で歌うことで「レオさんならでは」ってやつが活きてくるんではないかと。そうじゃないと、いくら楽曲そのものの質が向上したりサウンドメイキング面での改善があったとしても「インスタントなJ-POP」という枠から脱却できないし、そういった中庸性を極めるのも素晴らしさの一つではあるけど、レオさんの歌声をその枠内に留めておくのはあまりにも勿体なさすぎる。

 

スポンサーリンク




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA